京都守護職会津藩

新選組ツアー in 京都


2日目
(7)



河原町に行って、幕末の距離感を感じてきました。



へ〜、ここがあの場所ですか。
友人によると、実際に龍馬が殺害された部屋は道路の位置だそうですね?







現代の建物になってしまっています。








通りすがりにラブリーなオブジェがありました。
まち針ですよ。

バラ、ショートケーキ、かたつむり、ぶどう、ひよこ、りんご・・・。









実用にはもちろん向かないでしょうけど、
細かい仕事だな〜と思いました。









何故かトリビアに出ていましたが、私だって知っています。
池田屋がパチンコ屋になっている事くらい。

どうしてトリビアに採用されたのか・・・?







池田屋騒動址

元治元年(1864)旧暦6月5日「祇園祭宵宵山」、四条小橋の古高俊太郎を捕らえ厳しく取り調べた結果、倒幕派がクーデターを起こす計画を知った新選組は、三条小橋西詰北側の旅籠「池田屋」で密議中の長州、土佐、肥後各藩の尊王攘夷派志士約20名を、近藤勇率いる新選組10名で襲撃し、多くの死傷者を出しました。

この事件で倒幕が一年遅れたと言われるほど、尊攘派は大きな痛手を被りました。一方、新選組はこの事件の手柄を機に、一躍名をあげました。

文久3年2月(1863)早朝、浪士組(後に新選組)は東海道53次の終点であるここ三条大橋、小橋を渡り、池田屋の前を通り壬生屯所に向かっていました。まさか、その1年3ヶ月後にそこで死闘が繰り広げられるなど、誰も予想していなかったことでしょう。

三条小橋商店街振興組合



その他、土佐藩邸跡、長州藩邸跡など、距離感が分かって面白かったです。
案外近いところで色々なことがあったんですねえ。

京都見廻組や新選組がこの辺りをパトロールしていたのかと思うと
不思議な感じがします。

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それにしても、二日目の移動距離は物凄いですね(^^;
皆、体が丈夫でありがたいことです。
体調不良などでスケジュールが狂う事が無いので、目一杯動き回れました。
明日も目一杯歩きますよ。

三日目 二条城へ