横須賀&浦賀&横浜旅行 2

三笠公園




戦艦三笠です。東郷平八郎です。

昔、私の母がお手玉をする際、「♪いちれつらんぱん破裂して 日露戦争始まった♪」と数え歌を歌ってくれましたが、母はお手玉が上手くないのでいつも二番あたりで失敗し、続きを聞く事が出来ず、覚えられませんでした。以前書籍で調べたところ、歌詞はすぐに分かりました。

一列談判破裂して
日露戦争始まった
さっさと逃げるはロシアの兵
死んでも守るは日本の兵
5万の兵を引き連れて
6人残して皆殺し
7月8日の戦いに
ハルピンまでも攻め寄せて
クロポトキンの首落とし
東郷元帥 万々歳


「らんぱん」ではなく「談判」だったのですね。でもネットで調べたら、その間違いをしている人たちはかなり多いようです。
こちらのサイトではメロディーまで聞く事ができます。
ここをクリック。
(私が話題にしている歌詞は、該当ページの下方にありました)


それにしても、私の母の世代でこの歌を知っている人は、結構少ないような気がしますよ(^^;






記念艦三笠の由来


三笠は、1904(明治37年)2月に始まった日露戦争において、東郷大将が率いる連合艦隊の旗艦として、終止敵の集中砲火の中で奮戦し、同年8月10日の黄海海戦では露軍国東洋艦隊に大打撃を与え、遂に1905(明治38年)5月27日の日本海海戦では、遠来のバルチック艦隊を全滅させる偉功をたてた日本海軍の代表的な軍艦であります。

この偉業を成し遂げた日本民族の誇りと自信を新たにするとともに、その栄光を永く後世に伝えるために、そのシンボルとして三笠は、1926(大正15年)以来収蔵する多数の記念品とともに、ここ三笠公園に保存され、多くの人に親しまれてきました。

また、記念艦三笠は、造船史上価値の高い船舶として認められ、1992(平成4年)6月、英国の世界船舶基金から海事遺産賞を授与されました。





それでは内部へ。
チケットもぎりのおじさんに「この船は本物ですか?」と聞いたら
「こんなのわざわざ作らないよ(笑)」と言われました。なるほど。
砲撃で壊れたマストや大砲などの部分以外は本物だそうです。






艦内は撮影禁止なので写真はありません。
外くらいは撮っても良いですよね?海風が涼しくていい感じです。

向こうに見えるのは猿島です。
仮面ライダーの最終回では、ショッカーの基地として撮影に使用されたそうです。






もののふ君にとって初めての海です。
「海とは、もしかしたら猪苗代湖よりもちょっと大きいかもしれない」と感想を言っていました。

もののふ君も、会津藩士がはるばる海防のために赴任した海を見つめて、感慨深そうでした。それにしても、京都守護職といい、どうしてこんなに遠い所での任務を引き受けてしまうのでしょう。不思議です。もっと近くに住んでいる人のほうが適任だと思うんですけど。

※会津若松と横須賀との関係については、会津若松市のサイトに分かり易く書いてありました。三浦半島はほぼ全域、会津藩領になったようですね。

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佐原十郎左衛門義連は横須賀からやってきて、葦名氏の祖となりました。
墓が喜多方市にあるので、今度墓参りをしてみようと思っているのです。





閑話休題。



艦内は博物館になっており、様々な展示物がありました。

人形と音声による大砲の装填→発射の様子が印象深かったです。

東郷ターン(敵前大回頭)も、動くミニチュアなどでよく分かりました。

「杉野は何処、杉野は居ずや」の歌は、杉野さんの行方とその後が気になりました。ネットで検索してみたら、生きておられたようです。

友人たちと「三笠艦橋の図」を、まさにその場所で再現してみたりしました。

そんな訳で、三笠よさようなら。
暑くて汗だくです。水分補給を怠ると倒れそうです。

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記念艦「三笠」のオフィシャルサイトはこちら。