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二本松の菊人形に行ってきました。






昭和30年から始まった「日本最大 菊の祭典」だそうです。
テレビコマーシャルに米倉涼子を起用するなど、気合が感じられました。





それでは、順を追って・・。





会津若松から郡山経由で二本松市に行きます。
郡山駅前にて、ラブリーなものを発見!!
クロネコヤマトの手押し台車のようです。
こいつは朝から縁起が良いです。

※人物も一緒に撮影すると、スケール感が分かって良いですね。











郡山から自家用車にて二本松へ。
霞ケ城に到着です。

二本松少年隊の像がありました。
二本松藩も、戊辰戦争では悲惨な事になりました。

二本松藩は、会津藩と同じく旧幕府軍として西軍と戦いました。









二本松少年隊

慶応四年(1868)7月戊辰戦争の最中、二本松藩大半の兵力が西軍を迎え撃つべく出陣し、城内・城下は空虚同然であった。
この緊迫した状況の下、少年達の出陣嘆願の熱意に、藩主は止むなく出陣許可を与え、
13歳から17歳までの少年62名が出陣。7月29日、城内への要衝・大壇口では隊長木村銃太郎率いる少年25名が果敢に戦ったが、正午頃二本松城は炎上し落城した。
この二本松少年隊像は、大儀のため戦う隊長及び少年隊士と、我が子の出陣服に藩主丹羽氏の家紋・直違紋(すじかいもん)の肩印を万感迫る思いで縫い付ける母の像を表したものである。
なお、この地は「千人溜(せんにんだめ)」といい、藩兵が集合する場所であり、少年隊士もここからそれぞれの守備地に出陣した。

二本松市


「やっぱり二本松でも「西軍」って言うんだね」
「そりゃ当然ですよ。」
「会津イノシシ、仙台ムジナ、三春狐にだまされた・・」

・・・ハッ!
今回のメンバーには三春藩の人がいたのです。

だいじょーぶ。現代人としての友情が勝ちますよもちろん(笑)











格好いい銅像ですね〜。
等身大ですよ。ほれぼれ。
会津若松にも、こういう格好良い白虎隊などの銅像がほしいです。
駅前の銅像も、飯森山のも、正直格好よくない・・・。








  

箕輪門

箕輪門は二本松城=霞ケ城の正門にあたり、江戸初期城主丹羽光重の建造である。
城下
箕輪村山中にあった樫の大木を主材としたのでこの名がある。
そびえ立つ石垣と累々たる城壁・城門は10万石大名の威客を示していた。
戊辰戦争によって灰燼と帰したが再建の声高まり、年余の歳月と2億円の費を投じて昭和57年8月に完成をみた。

二本松市


また戊辰で焼失。









大城代・内藤四郎兵衛戦死の地

城門を開いて敵陣に切り込み、獅子奮迅の末、壮絶な戦死を遂げた。

この時、すでに霞ヶ城は落ちていたそうです。
斬り死にですか〜。二本松藩士は猛者が多いです。










箕輪門を城内側から。











今通過してきたのが「2」の銅像と
「3」の箕輪門です。
三の丸跡地が菊人形の会場です。

しかし、菊人形の会場は、霞ヶ城のほんの一部のスペースでしかありません。

かなり広い敷地を誇っています、霞ヶ城は。
須晴らしい。









  

二本松市指定天然記念物
名称:二本松城跡 箕輪門のアカマツ

箕輪門北側の石垣上に植えられているアカマツの古木群で、4本は三の丸への石段の南東に段状に一列に並び、一本は石段の裾右側の石垣上に立っている。
目通り幹囲が2〜2.5m、樹高9〜12mあり、樹冠が傘状をしているのが多く、長い枝を石垣下に垂れている。
これらの松は、土塀に代えて石垣上に植えられたものと思われ、明暦3年(1657)に箕輪門周辺石垣の破損を修理した記録などから推察すると
樹齢は350年を越える。保存状況が良好で樹勢は旺盛である。
個々の木が美しい樹形を持つとともに全体が周囲の石垣や石段とよく調和し、見事な景観を呈しており、二本松城跡石垣の松の大木として高い評価がある。

平成12年4月1日指定
二本松市教育委員会

てことは、この松は戊辰を生き延びたのですね・・・。
城は灰燼と帰しましたが・・・。









三の丸跡地の菊人形会場・入り口です。

懐かしいー。
幼少のみぎりは毎年家族で来ていたものです。








 

千輪咲

花数 1688
花名 裾野の月
製作者 財団法人 二本松菊栄会
斎藤弘



すばらしい菊です。
この1688もある花は、一本の菊なんですよ。
根元を見れば一目瞭然です。
すごいなー。製作者の意気込みがビシバシ伝わってきます。

2331輪も咲いた、世界一のものもありました。









華麗、世界初の三色千輪咲

花数 625輪
花名 裾野の月
製作者 財団法人 二本松菊栄会
斎藤弘

これまた素晴らしいです。さっきの菊と同じ製作者です。
個人的にはこっちのほうが派手なので好きです(笑)

この秋のために、一年を通して手入れが欠かせないんでしょうねえ。
いやはや。お疲れ様です。










紅葉もはじまっています。
まだちょっと早いんですけどね。









武蔵の14場面が菊人形で再現されていました。
しかし、私は大河の武蔵を見ていないので
菊の美しさを楽しみました。
という訳で、武蔵のシーンはダイジェスト版でお送りします。

※そういえば、大相撲ダイジェストって終わっちゃいましたね。
かつて一斉を風靡した大相撲なのに。
無常。







「決闘・一乗寺下り松」








「やっかい者」



「武蔵は縛られて千年杉の大木に吊るされていた。」

本当に吊るされています(笑)







 

人形の頭って、大河にあわせて新調するんでしょうか?
そっくりじゃないですか。ねえ?











菊人形の足元には、これまた素晴らしい大輪の菊がずらっと並んでいます。









「阿国歌舞伎」

この人形、くるくる回転しています。
美人顔でした。







  

階段を上って、池を見下ろします。




宝船に菊人形の七福神が乗っていました。

宝船
金銀、珠宝などの貴重な品、お宝や七福神などの幸せを積んで海の彼方からやってくる帆掛け舟。
それらにあやかり、福徳を受ける縁起物の象徴とされている。

大黒天 飲食、厨の神
毘沙門天 仏法を守護、福徳を授ける神
福禄寿 三徳を備える神
布袋尊 吉凶、天候を占う神
恵比寿 商売繁盛の神
弁財天 福徳、財産を与える女神
寿老人 長寿でめでたい神








  

懐かしい〜。
この五重塔、ずっと前からありますよね。
久しぶりに見ましたが綺麗。










「巌流島の決闘」

巌流島は当時、船島といった。武蔵は剣名の高かった小次郎に試合を申し入れ、舟島において倒した。その後、船島は破れた小次郎の号(剣の流技)を取って巌流島と呼ばれるようになったという。
試合については多くの異説が伝わっているが、今回は「二天記」による記述を採った。武蔵は遅れること3時間余り、船で付き、櫂を削った木刀で小次郎に対した。待たされて憤然とした小次郎は、大太刀の鞘を払って海に投げ捨てた。





有名なシーンですね。

  

武蔵と小次郎。










これで「武蔵」のスペースは終了です。
菊の花で彩られた道を歩き、第二会場へ向かいます。










期間限定発売・千輪菊アイスです。
黄色い菊花が入っていましたが、味は普通のアイスでした。
菊ってそんなに癖がないですから。









第二会場では様々な昔話のワンシーンが菊人形によって再現されていましたが、
我々が注目したのは歴代の菊人形ポスターでした。




ファンの多い伊達正宗。
私の友人で、少なくとも2人は携帯の着メロがこれです。

           ピョ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

              ピヨヨヨヨヨ〜ン(ポヨーン)(ダダダン!)

    ジャカジャンジャンジャンジャンジャン! 
                    ジャカジャンジャンジャンジャンジャンジャン!

                ダ・ダーン・・・・・・  ダダダーン・・・・・

大抵、このあたりで電話に出てしまうので、旋律の部分が聞けないのが難点かも(笑)

※NHKのサイトで着メロがダウンロードできますよ。有料ですけど。
その他、プリンプリンとか、ややこしやとか、イロイロあって楽しいらしいです。







太平記、花の乱、毛利元就。










信長、吉宗、慶喜。









真田太平記、宮元武蔵、翔ぶが如く。






菊人形の製作工程が展示されていました。



菊人形ができるまで

菊師(きくし)は
下絵に基づいて菊をつけるための下地となる胴殻(どうがら)というものを作ります。下絵には細かく寸法が記入されているわけではないので、胴殻作りには時代考証に基づいた専門知識と豊富な経験が要求されるわけです。
出来上がった胴殻の全面に、ヒノキのヒバを添えつけ、その上に衣装に合った配色の小菊を根ごと(切り花ではない)付けていきます。

会期中の菊の管理は慎重に行なわれますが、それでも着けられた菊は約3回取り替えられます。(着せ替えるといいます)

人形師は
菊師が建て込んだ人形に、場面絵に合った表情の人形の頭、手、足を組み込み、小道具(刀、槍、扇など)を着けて命を吹き込みます。


胴殻づくり

竹ひごを芯にして、稲藁を糸で巻いた巻き藁というものを作ります。
木枠の中心に背骨に当たる棒芯を取り付け、それに巻き藁で立体的に人形の形に作り上げていきます。
人形は男、女、公家、武士、町人などによって、また年齢によって形状も違ってくるため、それに合わせて当然、形状も微妙に異なります。
使われる巻き藁の数は人形の形状により異なりますが、平均50本くらいになります。








建て込み
出来上がった等身大の胴殻を座に据えて、人形の振りに合わせ形を整える作業を「建て込み」といいます。
座の中心に棒芯を固定し、背後に2本の支え木を取って安定させます。肩には力木というものを取り付けて、型くずれを防ぐような配慮もされています。










菊着け
建て込まれた胴殻にヒノキの葉(ヒバ)を貼り、その上に根のついたままの菊花を添わすように止めていく作業を菊着けといいます。
ミズゴケを巻いた根付きの菊の根を、胴殻の中に根元を上にして固定し、花部を上方(襟元)から順番に下へと「い草」で固定していきます。
色の異なる菊花で配色を考えながら模様にしていくには一日に一体を着せるのが精一杯、と言われるぐらい根気のいる作業です。
使われる菊株は、約50〜60株にもなります。









建物から出て、菊花のアーチをくぐります。








城の石垣には、何かの役割を果たしていたのであろう
穴が空いていました。












箕輪門に戻ってきました。










空が青いです。
「ほんとうの空」です。by智恵子




霞ヶ城散策へ