霞ヶ城・本丸

ようやく到着です。
敷地が広い〜。






かなりの高さです。
見晴らしが良いです。








あ、本丸石垣が見えてきましたよ。









  

登りながら近付いてゆきます。








立派な石垣です。











碑が建っていました。

当記念碑は、昭和28年(1953)に施工された本丸入り口石垣修復を記念として、奥州探題・畠山氏末裔である二本松氏により、昭和30年に入り口左側に建立されました。
平成7年(1995)本丸石垣修築復元工事の完成に伴い、当所に移設しました。

二本松市



 

キャプションと地図より。
本丸の構造について理解を深めてください。

二本松城の歴史

二本松城は、室町時代中期に奥州探題を命じられた畠山満秦(みつやす)が築造し、以後畠山氏歴代の居城として、140年余り続きました。その後天正14年(1586)、伊達正宗の南奥制覇のために落城しました。

豊臣時代になると、二本松城は会津領主となった蒲生氏郷の重要な支城として、中通り(仙道)警備の任を与えられました。二本松城に石垣が積まれ、近世城郭として機能し始めたのはこのころだと推定されます。

その後、徳川時代初期も会津領として、上杉氏、蒲生氏、加藤氏らの支配下にありました。
とくに、加藤氏支配時代には本丸を拡張したことが石垣解体調査で確認されました。

二本松藩が誕生した寛永20年(1643)、初代藩主丹羽光重が10万700石で入城し、幕末まで丹羽氏10代の居城として、220有余年続きました。戊辰戦争に際し、西軍との徹底抗戦で城内・家中屋敷のすべてを焼失し、慶応4年(1868)7月29日に落城しました。

焼失か・・・。つくづく勿体無い。

落城といえば、鶴ヶ城は落城してないんですよ。ええ。開城です。
雨のように打ち込まれる砲弾にも耐えた名城です。









巨大な石垣が聳え立っています。

本丸石垣修築復元の概要

平成3年3月から5ヶ月にわたり実施した発掘調査で、はじめて本丸の形状と規模が判明しました。すでに崩壊し滅失したと考えられていた石垣の遺構が検出されたからです。

石垣の特徴的な積み方のひとつである慶長期の「穴太積み」や、元和・寛永期の各様式のほか、江戸後半期の様式が確認できました。

これらの貴重な石垣を後世にのこすため、各方面からの検討を重ね、平成5年8月から学術調査とあわせ石垣の全面修築・復元工事に着手し、平成7年6月に完成しました。

※修築:既存していた石垣を、旧来の形状で積みなおすこと。
※復元:失われていた石垣を、時代性を考察し新補石材で積むこと。


修築、復元に対する姿勢が素晴らしいと思います。






    

何気なく「すごいなー」と思って撮った石垣の写真が
下記キャプションに該当していて、ラッキーでした。

同じ天守の石垣でも、場所によって年代や積み方が異なるようなのです。
管轄外なのでよく分かりませんが・・・。

本丸下南面大石垣

二本松城に築かれた、最も古い石垣のひとつです。築石は野面石(自然石)と荒割石が用いられ、その積み方は古式の「穴太積み」と呼ばれる特徴的な石のデザイン・テクニックです。

大小の石材をレンガを寝かせるように横積みし、数石しか「横目地」の通らない、いわゆる「野積み崩し」の積み方です。

勾配は、直線的で緩やかな「ノリ(法)」を主体に構築されています。天端付近は積み直された形跡があり、本来はさらに数段高い石垣であったと考えられます。

二本松城が会津領の支城となった慶長初期頃、蒲生氏郷に抱えられた城郭石積み技術者集団「穴太衆」によって築かれた石垣です。




学者の先生もスゴイですけど、こういう現場の人も格好いいですよね。
素晴らしい技術と経験をお持ちなのでしょう。
どうやって解体したり積み上げたりしているのか
想像もつきませんよ。
それを野外でやるんですよ。素晴らしい。




  

それでは、天守の石垣に登ってみます。
※8の部分です。
本当なら、ここには勇壮な天守閣がそびえていたのでしょう。







  

進入してきた敵を攻撃しやすい形になっています。
だから「虎口」なんですね。






   

天守閣の真中には「本丸跡」とありました。






西櫓台より東櫓台を臨む。










上から見るとこんな感じ。
コンパスをご覧下さい。

北にある四角い部分が天守台。
西にあるのが西櫓台。
東にあるのが東櫓台。









西櫓台より天守台を臨む。










西櫓台より南を臨む。

見晴らしが良いですね〜。
ここで篭城線をしたら、こっちの大砲も当たったでしょうね。
鶴ヶ城は平山城だからさ・・。

ベンチがあって、近所にお住まいの方々がお弁当を広げていたりしました。









石碑がありました。
二本松藩士は壮絶な最期を遂げた人が多いです。

丹羽和左衛門(にわわざえもん)66歳・城代
安部井又之丞(あべいまたのじょう)65歳・勘定奉行

自尽の碑

当碑は、慶応4年(1868)7月29日、戊辰戦争による二本松城落城に際して、共に自尽(割腹)した両人の供養碑です。
丹羽の自尽の様子は、床几(腰掛け)に腰をおろし、軍扇を膝の上に広げ、割腹したのち内臓を軍扇の上につかみ出し、前かがみになって絶命した、と伝えられています。
当初この碑は天守台の中央奥に建っていましたが、平成7年本丸石垣修築復元工事完成に伴い、当初に移設しました。






 

東櫓台より天守台を臨む。









天守台にて。
どの方向に何があるか記載されている丸テーブル状のものがありました。
山や建物や地名など。
皆、自然と自分の出身地の方向を見ていました。









天守台より東櫓台を臨む。
素晴らしい見晴らし。

雲ひとつない晴天です。
あまりの日差しの強さに、衣被きにしている人が(笑)








東櫓台より枡形虎口を臨む。
そろそろ山を降りましょうか。










うーん、離れて見ても立派な石垣。
新しい石で補った部分も、年月の経過で馴染むと思います。

城の自然を管理しているおじちゃんが近くで作業していて、話し掛けられました。

「この石垣は、修築・復元工事の時
一つ一つにナンバーを振って、元通りに積み直したんだぞ」と教えてもらいました。

・・・3年かかるわけだ。
でも、こういう作業に手間と時間を惜しんで欲しくはないです。
その心意気に乾杯。



 ←コレ

天守台の下にある大石垣です。
ちょっとアングルが悪い・・・。写真の左側の石垣がそれです。



ふむふむ。成る程。
分かりやすい。








井戸を覗き込む人々。
鶴ヶ城の井戸と違って、戦死者の遺体は入れなかったのでしょうね。
・・・砲撃による死者の遺体を埋葬するスペースがなくなって、井戸に入れなきゃならなかったんですよ。
鶴ヶ城の篭城戦では。
鶴ヶ城に沢山ある井戸の前を通り過ぎる時、いつもせつない気分になります。

日影の井戸

千葉県印西市の「月影の井」、神奈川県鎌倉市の「星影の井」と並び、「日本の三井」と称されています。
これは「月影の井」縁起のなかの「清水湧出して四時渇水することなし、伝言、大管豊後守の水行場と又月かげの井と称して、鎌倉星の井、奥州二本松の日の井と共に日本三井一なりと言う」に由来しています。
昭和の初期頃までは俗称で「底なし井戸」と呼ばれ、また古老の言い伝えでは「ひのゐ」「陰の井」とも称されていたといいます。
井戸の深さは約16mあり、さらに井戸底の岩盤をえぐって北方に約14m達していますが、今でも豊富な湧水を溜めています。

二本松市





井戸には金網が張られていますが、今でも水をたたえた様子が見えます。







ズームを使って、金網をかいくぐり・・・うまく撮れました(^^)
自分も写ってしまいましたが。

紅葉にちょっと早かったのが残念ですが
木々の緑も美しいではありませんか。








ずんずん下ってゆきます。








二本松藩士自尽の地

慶応4年(1868)戊辰戦争において、薩摩・長州・土佐藩兵を主力とした西軍約7000名に対して、応援兵を合わせても兵力約1000名の二本松藩は各所で戦いを繰り広げ、7月29日ついに城下・城内の戦いとなり、正午頃二本松城は炎上し、落城しました。

二本松藩の戦死者337名以上、負傷者58名以上、他藩の戦死者208名以上という戊辰戦争中最大の壮烈な戦いでした。

ここでは、主戦論者であった家老・丹羽一学、城代・服部久左衛門、小城代・丹羽新十朗の3名が責任を取り自尽(割腹)し、壮絶な最期を遂げました。

二本松市









急な階段を下ってゆきます。
本当に山の上にあるのですよ、天守は。









菊人形会場の入り口を通り過ぎ、駐車場へ向かいます。










二本松少年隊の銅像は
朝と変わらずりりしいです。

かっこいいな〜羨ましい〜。

霞ヶ城は想像以上に格好よくて、会津っ子の私も
ジェラシーを感じてしまうほどでした。

菊人形は有名でも、本丸まで登る観光客はほとんどいないように感じました。
もっと知名度を上げていかないといけませんね。
二本松藩がいかに勇敢に戦ったのかとか。
霞ヶ城の素晴らしさとか。石垣修復へのこだわりとか。庭園の美しさとか。

菊人形に毎年来ていた私でさえ、本丸まで登ったのはこの日が最初でした。
ダメじゃん〜。






私達が帰る時も、
大型バスで絶え間なく観光客が出入りしていました。

皆さん、天守閣まで行ったほうがいいですよ。
・・・皆さんほぼ全員ご年配の方々なので、ちょっと難しいか・・・。







駐車場にあった菊のレリーフ。
綺麗ですね。



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