京都守護職と会津藩
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新選組ツアー in 京都
3日目(3)
来ましたよ!! 京都守護職屋敷跡です!! ・・・・・・あれ? 閉まってるー!!ΣΣ(゜д゜lll) ・・・そうか、今日は世間の皆様もお休みの「文化の日」でした! 当然、京都府庁もお休みです。 まあ、この地に京都守護職屋敷があったという事は事実ですから、 門にしがみついて当時を偲ぼうかとも思ったのですが 「裏から入れてもらえないかな?休みだって誰かしら居るよね?」 とぐるりと回りこんでみました。 ウロウロしていたら公安のおにーさんが 「どうしました?」と声をかけてくれました。 「京都守護職屋敷跡の石碑を見たいのですが閉まっているのです」 「以前もそれを聞かれた事があります(^^;」 と、おにーさんが京都府庁の裏口に連絡してくれたら 入れてもらえました。ありがとうございます! すわ!
うーん。 前ページの「京都所司代」は歴代58人も居るから、幕末だけを特筆せず、だから松平定敬公の名前が無いのだと納得していましたが・・・。 「京都守護職」は幕末の特別職であり、会津藩主松平容保公だけなのですから、解説板に一言書いてくれても良いんじゃないの? これじゃ「ある程度基礎知識がある人」以外は 「何の屋敷跡なのかサッパり分からない」じゃないですか。 会津藩は、こんな遠いところで頑張ったのに。ご先祖もガッカリでしょう。 先ほどの門を、石碑のある辺りから撮影。 つまり、石碑は門を入ってすぐ右の植え込みの中にあります。 京都府庁はナイスな外観です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 文久2年・・・今から142年前。 「殿が京都守護職押し付けられっちまったってよ! なじょしても止めんなんねべ!」 「んだな!薪背負って火の中さ飛びこんじまうようなもんだ!」 って、会津藩家老 西郷頼母と田中土佐は 江戸に止めに行ったんだろうなあ・・・。 頼母は好きですよ私。 平成の世でも、未だ戊辰の傷痕が残る会津を見るにつけ、西郷頼母や田中土佐のように 「京都守護職なんか拝命しなきゃ良かったのに」と思わない訳でもないですから。 頑張ったのに、何もむくわれなかったご先祖たち。 忠誠を尽くした大樹にも連枝にも見捨てられ。 賊軍と蔑まれ、斗南に流され、何十年間も辛酸を舐めさせられ・・・。 文化財は壊滅的なダメージを受け・・・。 嗚呼、涙が出る。 御所へ |