京都守護職会津藩

新選組ツアー in 京都


3日目
(3)

来ましたよ!!
京都守護職屋敷跡です!!




・・・・・・あれ?








閉まってるー!!ΣΣ(゜д゜lll)






・・・そうか、今日は世間の皆様もお休みの「文化の日」でした!
当然、京都府庁もお休みです。

まあ、この地に京都守護職屋敷があったという事は事実ですから、
門にしがみついて当時を偲ぼうかとも思ったのですが
「裏から入れてもらえないかな?休みだって誰かしら居るよね?」
とぐるりと回りこんでみました。


ウロウロしていたら公安のおにーさんが
「どうしました?」と声をかけてくれました。

「京都守護職屋敷跡の石碑を見たいのですが閉まっているのです」
「以前もそれを聞かれた事があります(^^;」

と、おにーさんが京都府庁の裏口に連絡してくれたら
入れてもらえました。ありがとうございます!

すわ!







「京都守護職上屋敷跡」

幕末京都の警備を命じられた京都守護職は、市中に数ヶ所の広大な屋敷を構えました。

現在の府庁にあたる敷地もその1つで、この敷地は「上屋敷」跡にあたり、度重なる増改築を経て慶応元年(1865)に完成しました。

規模は現在の敷地ほぼすべてを占め、正門や敷石、玄関等はたいへん豪華なものだったと言われています。

京都府


うーん。

前ページの「京都所司代」は歴代58人も居るから、幕末だけを特筆せず、だから松平定敬公の名前が無いのだと納得していましたが・・・。

「京都守護職」幕末の特別職であり、会津藩主松平容保だけなのですから、解説板に一言書いてくれても良いんじゃないの?

これじゃ「ある程度基礎知識がある人」以外は
何の屋敷跡なのかサッパり分からない」じゃないですか。

会津藩は、こんな遠いところで頑張ったのに。ご先祖もガッカリでしょう。







先ほどの門を、石碑のある辺りから撮影。
つまり、石碑は門を入ってすぐ右の植え込みの中にあります。









京都府庁はナイスな外観です。

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文久2年・・・今から142年前。

「殿が京都守護職押し付けられっちまったってよ!
なじょしても止めんなんねべ!」

「んだな!薪背負って火の中さ飛びこんじまうようなもんだ!」

って、会津藩家老 西郷頼母と田中土佐は
江戸に止めに行ったんだろうなあ・・・。

頼母は好きですよ私。

平成の世でも、未だ戊辰の傷痕が残る会津を見るにつけ、西郷頼母や田中土佐のように
「京都守護職なんか拝命しなきゃ良かったのに」と思わない訳でもないですから。

頑張ったのに、何もむくわれなかったご先祖たち。
忠誠を尽くした大樹にも連枝にも見捨てられ。
賊軍と蔑まれ、斗南に流され、何十年間も辛酸を舐めさせられ・・・。
文化財は壊滅的なダメージを受け・・・。

嗚呼、涙が出る。


御所へ