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旧一戸村制札場


ずっと来てみたかったのです(^^)




ついに来ました。本物です。本物の制札場です。
甍で覆って風雪を凌いでいます。







福島県指定史跡
旧一戸村制札場 (付)制札十三枚

昭和33年8月1日指定
所在地 耶麻郡山都町大字一ノ木字本村乙1982番地
所有者 田中哲造

旧一ノ戸村は飯豊山の登山口であり、米沢への間道にあたる。文化6年(1809)編の「新編会津風土記」に、「此村は飯豊山に登る道にて、村中に官より命ぜらる掟條目の制札あり」と記されている。

制札場は田中家の屋敷内、入口(門)のかたわらにある。高さ約45cmの石積基礎の上に、間口3.79m、奥行き1.9m、高さ2.7m、屋根板葺(近年トタンで覆う)、木造2間の主柱に6本の支柱を添えた簡素な構造の建物をたて、ここに制札を掲げてあった。

田中家は木曽組の肝煎で番所の性格をかね、現在の建物は天保年間(1830〜1842)代官の普請といわれる。この制札場もそのころの建立であろう。また、同家には天保2年のキリシタン制札のほか、13枚の制札が保存されている。

会津藩には24か所の制札場があったが、いずれも廃棄され、中には所在地すら明らかでないところも多い。この意味において、この制札場は封建時代の藩制史料、交通資料として重要なものである。

福島県教育委員会






大きさはこのくらい。







違う角度から。






(↑北)
霊峰・飯豊への登山口へ繋がる道です。





誰から聞いたか忘れましたが、とても興味深い話があります。
福島県の会津地方と、山形県の置賜地方では、飯豊山はとても大切な聖なる山なのです。

それなのに、廃藩置県などで福島県側の飯豊山へ通じる道が新潟県になってしまいました。
さあ大変です。
という訳で、新潟県から登山道だけ譲ってもらい、福島県にしてもらったそうです。

だから、福島県は妖怪アンテナのようにピョコンとしているのです。

ちょっと前まで、15〜6歳の男子は白装束に身を包み、無事に飯豊登拝を終えて戻ってくるまでは成人男性とみなされなかったそうです。危険な場所も多く、命を落とす人も居たそうです。
現在でも、山小屋で一泊しないと戻ってこられない難しい山です。
昔は女人禁制の山でしたから、例え男女平等の平成の世とはいえ、私は登りたいとは思いません。






山都町はそばで有名なので、もちろん食べました。
新そばの直前ですから、一年間で最も古いそば粉という事になりますが、かなり美味しかったですよ。手打ちの10割そばです。
※座席のすぐ後で打ってます。

そば、味噌汁、茄子の漬物、茄子の煮浸、ミニ天丼のセットで1400円です。
店内も綺麗でしたし、味も満足です。






追加で、そば饅頭の揚げたのも食べました。






おたまとそば。



また来てもいいかも。
でも友人お勧めの「弘法そば」も気になります。


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