2003・3・21

あいづひがんじし
会津彼岸獅子



春だ!!彼岸獅子だ!!



【彼岸獅子について】

ここでいう「獅子」とは、ライオンの事ではない。

山に住むイノシシ、鹿(カノシシ)、カモシカ(カノシシ)など、古くから日本の山に生息していた獣、いわゆる「シシ」を指す。

神は山にいると信じられており、山に住むシシは神の化身、神の使いと考えられていた。
よって、田畑で悪さをしても追い払ったり殺したりするのは躊躇われた。

そのため、シシが里で楽しく舞い遊び、悪さをせずにそのまま帰る姿を寺社の前で演じ、そうなる事を祈ったのが始まりと考えられている。


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鞨鼓(太鼓)を腰につけて踊ることから、一般的には太鼓踊りに分類されるが、獅子頭をつけて舞うので、鞨鼓獅子舞とも言われる。

福島県内の鞨鼓獅子舞の多くは三人で踊る為、三匹獅子舞とか三匹獅子といわれ、四人、五人またはそれ以上のものも含めると約250ヶ所にもなる。

一般的に春祭りや秋祭りに行なわれる事が多いが、会津では春の彼岸に舞うところから、彼岸獅子の名がある。


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この彼岸獅子は、かつては会津若松市だけでも20箇所、会津地方全体では30箇所もあったと言われるが、 戊辰戦争直後世界大戦に次々と廃絶して、後まで続いたのは東神指、天寧、下居合、北滝沢、本滝沢、南原(大戸町)、上荒久田、木流、町北町屋敷などである。

さらに北会津村小松、河東町大和田(太原町)と郡山、磐梯町赤枝、猪苗代町西久保、喜多方市下柴と中村、会津高田町西勝などである。





まずは下居合獅子団からご紹介します。
鶴ヶ城本丸にて11時からでした。



来た!!

鶴ヶ城の鉄門前に獅子団が来ました!!





カッコイイ〜。
風が吹いてトサカが立っています。
手前が雄獅子です。





背に鳳凰を染め抜いた袷。
波を染め抜いた袴。
黒光りする鳥の羽を付けた獅子頭。
手甲と脚半。
腹には小太鼓。
両手に撥。






移動開始です。






踊っている彼岸獅子もいいけど
こういうさりげない感じもまた良いですね。

左・雌獅子
中央・太夫獅子
右・雄獅子

どこで区別するかと言えば、顔の前に下げられている布の文様です。







鉄門をくぐって本丸に入ります。







ダダダー!!と先回りしてまた撮影。







本丸なので天守閣です。
笛と太鼓を演奏する獅子団の人たちが写っています。

彼岸獅子は、この写真で言えばもっと右側で踊っています。
なので、つまり・・・城をバックに踊る彼岸獅子を撮影する場所は
一眼レフ三脚軍団の皆様がキープ済みで入り込めません。

いいんだ〜。待機中の写真が撮れたから。






手前から、太夫獅子・雌獅子・雄獅子。
これがスタンダードな並び方です。

※太夫獅子も、性別はもちろん獅子です。






踊りは、両手に持ったで腹の小太鼓を叩き、
両手を上げてポーズをとり、
首を優雅に振る、という動作が基本になっています。






縦になりました。

そうそう、見ればお分かりかと思いますが、
この獅子頭は、踊る人の頭に固定されています。
頭の上に乗せているんです。
顔まですっぽり覆っている訳ではありません。






太夫獅子のソロです。







丸くなりました。
中央の雌獅子を踊るのは、大抵小柄な男性です。







向かい合い〜。






そっぽ向き〜。







次は「弓舞」です。
へいそくのついた弓が登場です。

それにしても天気が良いですね。






太夫獅子は、勇敢に弓に挑みます。






でも、怖いのでなかなか潜る事ができません。





「うーん、どうしようかな〜。」

かなり悩みます。

・・・悩む時間が長い、というか
その悩みそのものが「踊り」なのです。

で、くぐった瞬間は撮り逃しました(^^;
別頁にてご紹介しますので、楽しみにお進み下さい。







無事に踊り終え、満足げな雄獅子。







記念撮影にも応じてくれます。
私も一緒に撮ってもらいました。
(↑これはもちろん私じゃありません。)

この後、阿弥陀寺でも舞われます。

・・・私は阿弥陀寺には行きませんでした。
今思えば行くべきでした・・・。

別に無駄に時を過ごしていた訳ではなく、
会津藩校 日新館の天文台跡を見たりして有意義ではありましたが。





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