亀ヶ森古墳
かめがもりこふん
福島県内では第1位、東北でも第2位の規模を誇る古墳です。
亀ヶ森古墳は会津坂下(あいづばんげ)町にあります。 会津五桜の糸桜を見にきたついでに寄ってみました。 道端には立派な倉がありました。 蔵の軒先には立派な唐箕が。 江戸時代に開発された農具が、つい最近まで使い続けられたってのはスゴイですよね。 今はもう新しく作られる事もない道具だと思うと、無常を感じます。 「ちかよるな」ってのは、この真下に水路があったからです、確か。 へえ、亀ヶ森古墳って会津三十二番札所だったのですね。
平面図はこんな感じ。 二つの古墳の向きが揃っているので、両者の密接な関係が伺えるそうです。例えば親子とか。 両古墳の主は、会津盆地西部を基盤とする歴代の王者であったと考えられています。 今から見るのは亀ヶ森古墳です。 これは後円部です。階段を登ってゆきます。 平地にあり、広い周濠を持つことから、典型的な中期古墳と考えられてきましたが、墳丘から前期と思われる埴輪の破片が採取されたので、前期古墳の可能性が強くなってきたそうです。 階段を登ってゆきます。 この亀ヶ森古墳を築くのに必要な労働量は、計算によると、のべ約14万2千人必要だそうです。 後円部には神社が建てられていました。 古墳に関しては詳しくないのですけど・・・古墳ってのは昔の人も「特別な場所だ」という認識を持っていたようで、このように祭祀的な場になっていることが多いみたいです。 古墳って、実際に見たり登ったりしても、形がよく分かりません。 後円部の中心に向かいます。 後円部の中心を横から。 盛り上がっています。
後円部の中央にある小さな社。 次ページは「鎮守森古墳です→ |