秋の五色沼

明治21年に磐梯山が大爆発を起こし、その土砂が長瀬川をせき止め、
行き場を失った水が溜まって裏磐梯の湖沼群が出来ました。

五色沼もその湖沼群の一部です。

爆発によって、500名ほどの人が亡くなりました。
野口英世は当時12歳ですから、翁島小学校の学生で、爆発を見ているはずです。




11:45
年配の人たちで大混雑していましたが、なんとか駐車できました。
まずは毘沙門沼です。







五色沼自然探勝路一帯は、磐梯朝日国立公園の特別保護地区に指定されています。
ここでは、自然公園法により植物の採取や昆虫などの動植物捕獲が禁止されており、許可無くこれらの行為を行った場合は50万円以下の罰金の対象となります。
当地域の自然環境保全と野生動植物保護のため、ご理解とご協力をお願い致します。

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なんと、五色沼探勝路は無料です。
料金を取って管理に当てても良いと思うんですけど。








毘沙門沼ではボートに乗ることができます。
私も小さい時に乗ったことがあります。
ボートが起こした漣がいつまでも消えなかったのを、とても不思議に思った記憶があります。








いい天気です。
ネット情報だと「五色沼は全体的に紅葉している状態」とありましたが、本格的な紅葉には少し早かったようです。でも、木によっては色づいているものもあります







カルガモです。
私が今立っている地面と水面とが同じ高さなのが不思議でした。








水面が近いです。








毘沙門沼は大きいです。







いい色のラブリーな犬がいました。
あまり焼きすぎていない食パンの色です。このくらいの焼き加減が好みです。








探勝路は階段になり、高い所から毘沙門沼を見下ろします。







五色沼探勝路はこんな感じです。
団体の観光客は、探勝路のどちらかにバスを移動&待機させておいて片道だけ歩くのですが、
我々のような一般客は駐車場まで往復することになります。

距離は結構あるうえ、足場は良くないので、体力に自信がない方はどこで引き返すか見極めてください。








爽やかです。晴天です。寒いだろうと思って厚着をしていきましたが、陽射しのためにちょっと暑いくらいです。








絵の具を溶いたような色です。







でも、水はとても透明で綺麗です。水自体に色はついていません。







大きな鯉が間近にやってきました。








沢山の湖の水は、地上でも地下でも繋がっています。







赤沼は以前見た時よりも水位が高くなっていて、赤い部分があまり見えませんでした。でも湖の縁の部分がちょっと赤いです。鉄だそうです。








黄色に色づく葉。







弁天沼だと思います。







弁天沼にはちょっとした展望台がありました。その上から撮影です。

探勝路に、年配寄りの中年女性が飴のビニール包みを捨てているのを見てガッカリです。
福島県民の財産が侵されたので「ゴミ捨てましたね?」と声をかけたら無視されました。
こういう人はここに来る資格がありません。こういうマナー違反って、若者よりむしろ年配のほうが多くないですか?

「とっていいのは写真だけ、残していいのは足跡だけ」

という有名な言葉を知らないのでしょうか。
自然を見に来たくせに、ゴミを捨てていくとはどういう了見なのでしょう。あきれます。

最近は「足跡」でさえ問題だと言われているくらいなのに。







沼と沼とは川や滝で繋がっています。







鉄分が多いようです。





 

実は今回の目的の一つは、遠藤十次郎さんの墓参りだったのです。

裏磐梯を満喫する人、鶴ヶ城で花見をする人は全て、遠藤さんに感謝すべきです。裏磐梯の歴史を思えば、とてもゴミなど捨てられません。見つかっていない遺体も多いのに。

遠藤さんは、磐梯山の爆発により荒廃した裏磐梯をはじめとし、様々な所に植林した人です。
「裏磐梯の父」と呼ばれています。







遠藤さんのお墓は、探勝路から350メートル逸れた所にあります。








紫色の綺麗な実がなっていました。








ああ、到着しました。清浄な雰囲気です。
遠藤さんのお墓は、遺言により巨石の下に埋葬されたことは書籍で見て知っていましたが、かなり立派です。







遠藤さんは現在の裏磐梯の様子をどう思っているでしょうか。






現夢翁略傅

裏磐梯国立公園ノ開祖遠藤十次郎ハ元治元年正月十日会津若松
新横町瀧口太右エ門ノ十二男ニ生ル後遠ノ姓ヲ継グ資性剛直
物欲恬淡国家ニ奉スルノ念篤ク醤油醸造業ノ傍ラ植林開墾ニ着
目シ松平家ノ廟所見禰山ニ椎ヲ鶴ヶ城址ニ桐ヲ植ヘ又壕ノ水利
ヲ完成して養鯉ヲナスト共ニ数十町歩ノ美田ヲ開ク等社会ニ貢
献スル所大ナリ明治二一年磐梯山ノ第噴火ニ一望荒廃ノ此ノ地ニ
立チ一念発起シ数々ノ苦難ヲ克服遂ニ宮地壱千数百町歩ノ拂下
ニ成功シ自ラ先頭ニ立チ鍬ヲ執リテ植林シ道路ヲ開発し将来
大森林公園ヲ期シテ半生ノ心血ト私財ヲ傾ケテ事業ハ着々
其ノ
緒ニ就ク後森林組合ヲ結成シ旧噴火口ニ注水シテ温泉トナスノ
大工事ヲ発案シ成功セシモ此事ハ組合ノ法規ニ触レル所トナリ
憂悶遂ニ病ヲ得テ再ビ起ス酬ハレザル生涯ヲ閉ス享年七十有三
生前自ラ選ヒシ此大墓石ハ噴火ノ際ニ飛来セシ最大ノモノニシ
テ永ク其志ヲ傅フベク然モ其功ヲ語ルモノハ其手ニ植ヘシ松ノ
緑ノミカ
 嗚呼不肖不敏父ノ終局ヲ全フシ得サリシヲ憾ム

昭和三十六年亡父廿七回忌ニ際シ
男 義之助 誌

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友人が「出来た息子さんですね、遺言通りにお墓を作って、碑石まで建てて」と言いました。全くです。

携帯電話の中に、今年の桜の鶴ヶ城の写真があったので、遠藤さんに見てもらいました。



この写真です。

北塩原村のサイトに、遠藤さんについて載っていました。










探勝路に戻りました。歩いていきます。







柳沼です。探勝路が終わり、桧原湖側の駐車場に着きました。







ここが、今日の五色沼で最も紅葉していました。
ここでUターンし、今来た道を引き返します。






帰りにラーメンを食べました。
うまーい。
また地元を満喫してしまいました。満足満足。
五色沼を満喫してしまったので、摺上原古戦場や三忠碑を見に行く時間が無くなってしまいました。急いで行くよりは、後日ゆっくり巡ってみる事にします。

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