米沢上杉まつり2006−7




総懸かりです。
ほぼ全員が出撃します。









頑張れ高校生たちよ。









あ、山本勘助だ。









近いところで戦ってくれています。









山本さんは川中島で死んじゃうんだよなあ。








バッタリ。

「申上げます、山本勘助殿、両角豊後殿、討死!」

ちゃんと、首級を取る仕草をしていたところがポイントです。








「上杉本陣、善光寺へ退け!水原隊、須田隊、退け!直江隊、甘粕隊、殿で支えよ!」


昼近く、上杉本陣は善光寺へと退きます。後を追う武田勢を直江隊、甘粕隊がくい止めます。







「上杉直江隊、甘粕隊、退け!」
「武田全軍、八幡原へ引き上げよ!」


そういえば、米沢市には八幡原工業団地がありますよね(笑)








忍者は市役所職員だそうですけど、戦っていました(笑)
笑いが起こっていました。







死屍累々。

「この日午の下刻午後一時、数時間に及ぶ激戦は幕を閉じました。『卯の刻より辰の刻までは上杉の勝ちなり。辰の刻より巳の刻までは武田の勝ちなり』と秀吉が評したこの激戦で、戦死せるもの、武田方二千八百、上杉方三千百と伝えられ、叉一説によれば、上杉勢の損害、死者千四百、負傷六千、武田勢の損害、死者四千五百、負傷一万三千、内には信玄の弟、武田信繁、武田の猛将両角豊後守、参謀山本勘助の戦死が伝えられ、戦国史上最大の戦いを裏付けております。







女子が、武将と写真を撮ってもらう為にスタンバイを始めたようです。








「死者の人は生き返ってください。」

勘助も生き返りました。









上杉と武田とで勝鬨合戦をします。

この後は、好きな武将と一緒に写真を撮ってもらえます。
私も色々な人と撮ってもらいました。







あ、首級・・・。










イケメンです。
大勢の女子が取り囲んでいたので、一緒に写真を撮ってもらうことはアッサリ諦めました。
女子たちは皆、「高坂隊」と記された、黒地に青の鉢巻をしていました。









友人の同級生です。
マイクで司会っぽいこともしていたのですごいです。
友人が「あの声、聞いた事ある・・・」と言っていたのですが、間違いなかったようです。
顔が広くてすごいね。







ぐったり。





オマケ。



堀粂野介さんの墓参りもしてきました。
前回は雪で、このキャプションも半ば埋もれていましたが、ようやく正確に見ることができました。








流石に、雪はすっかり消えました。









堀さんには、今年の鶴ヶ城の桜の写真を見せました。
それと、明日のお花まつりで13代目ご当主の松平保定様にお会いすることも伝えておきました。









上杉城史苑で枝豆アイスを食べました。
アイス1個はやっぱりキツイ。食べきれない。半分で充分。
甘い物は沢山食べられません。









5月3日でこんなに桜が残っているなんて、流石に米沢だって珍しい事だと思います。








米沢城跡。
上杉神社に続く石橋。








祭りなので旗が飾ってあります。









上杉神社です。
上杉謙信マニアなら、ご遺体はここ米沢市に眠る訳ですから、墓参りなら米沢に来るべきでしょうね。遺体を甕に入れて、転封になっても持ち歩いていたそうですね。一時期には会津に謙信公の遺体があったというのは不思議な感じですわ。










日が暮れます。


戻る