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会津五桜
会津高田町雀林 法用寺


虎の尾桜

2005.5.1


午前中、会津高田町役場に電話しました。

「虎の尾桜は終わってしまいましたか?」
「今、7分咲きだから、午後には満開になると思いますよ。」

ラッキー。いつも運が良いなあ。




そんなこんなで、午後に出発。
法用寺です。
高田は若松からは微妙な遠さです。








法用寺のソメイヨシノは、今まさに散っている真っ最中でした。








それでは、満開だという虎の尾桜を見に参りましょうか。
いざ。








進んで行きます。
仁王門をくぐります。






  

仁王の像は、仁王門の中には無く、代わりに写真パネルがありました。
「るい燃を防ぐ為に別々に安置してある」という事が書いてあります。

火事での全滅は避けたいですからね。









金剛力士立像
(昭和35年6月9日 国重要文化財指定)
阿形 224cm
吽形 216cm

金剛力士立像は、本来、金剛杵を持った夜叉の像で、阿形、吽形の2体が並んで寺門を守るため仁王(二王)とも呼ばれる。

当山の両像は、2mを越える巨像ながら、ケヤキの一木造で彫られている。その憤怒の形相や筋肉及び衣文の表出には、力感があふれているが、決して誇張されたものではなく、両腕の配置、腰のひねりによって力を内に秘めた逞しい姿に整えられている。

藤原時代の金剛力士像としては、県内はもとより全国的にも類例が少なく、京都峯定寺の像とともに逸品に数えられている。

現在は、吽形を観音堂に、阿形を若松城天守閣内に安置されている。


ああ、鶴ヶ城の中にある仁王は、ここのだったのかあ。








会津民俗館って、猪苗代にあるあれでしょ。
野口英世記念館の隣にある会津民俗館でしょ。
個人的には好きな施設です。

施設としてはかなり素晴らしいのですが、
いかんせん手入れが行き届いていないところが残念なんだなあ。
もうちょっと施設を生かせるといいんだけどなあ。









あ!

これって「蛇のご年始」で使う蛇でしょ。
へ〜、こんな風に飾っておくのですか。

正月に子供たちがこれを担いで、家々を回るんですよね。

検索してみたら、会津高田町のサイトに載っていました。










仁王が不在の仁王門をくぐります。









虎の尾桜が見えてきました。









「会津五桜」の特集等でよく見る写真を、私も撮ることができました。
なるほど〜、本物はこんな風なのか〜。









役場の人が教えてくれた通り、今まさに満開です。










町指定天然記念物
虎の尾桜
雀林 法用寺

虎の尾桜は観音堂の北側にある名木で、会津五桜の一つである。この桜は縁起書によれば徳溢大師が植えたことになっている。

花は特殊な構造を持っていて、ぱらぱらした八重で淡紅色、非常に美しい珍花である。現木は何代目であるかわからない。

藩政時代にはよく藩主と姫君観桜に来られている。

根岸中田観音像の縁起に出ている佐布川、江川長者の娘常姫と根岸地頭富塚盛勝の悲恋物語(文永10年)もこの花のもとの出会いが始めで、それが中田観音仏像鋳造の機縁ともなった。

昭和46年11月 会津高田町教育委員会


検索してみたら、新鶴村のサイトにその常姫の話が載っていました。







法用寺には文化財が沢山あるようです。
拝観してみたいのですが、公開しているのでしょうか?




県指定重要文化財
伝・木造得道上人坐像
所有者 法用寺 昭和43年12月10日指定

養老4年(720)に法用寺を開基した名僧の像である。肌の部分に麻布を張り、その上を黒漆で仕上げてある。寄木造、眼は玉眼で水晶製。像高87.5cmの鎌倉時代末期の作。


県指定重要文化財
木造十一面観音立像(二体)
所有者 法用寺 昭和43年12月10日指定

桂と欅の二体がある。どちらも一木彫成。桂の像は内刳はなく、瓔珞、胸飾りもすべて墨書である。裳、天衣の彫刻は深く飜波の跡も見られる。像高147.5cm、台座33.5cm。
欅の像は後世に彩色がなされ、元の風貌はとらえ難い。像高154.5cm、台座16cm。両像とも藤原前期の作である。

会津高田町教育委員会








国指定重要文化財
木造金剛力士立像

平安後期の特徴ある作で欅の一木造、仁王とも云い、伽藍を守護する仏像で、同時代のものは近江(滋賀県)善水寺にある外は、全国にも類例がないと云われる逸品である。

昭和35年6月9日指定

国指定重要文化財
法用寺本堂内厨子及仏壇

本堂(観音堂)安置の三間厨子で禅宗様の建築である。鎌倉時代の正和3年(1314)銘の棟札だあり、記年銘のある厨子では会津最古のもの。また、厨子下の仏壇は欄間のコウモリが珍しい。

昭和35年6月9日 指定

会津高田町教育委員会







県指定重要文化財
銅鐘
所有者 法用寺 昭和30年12月27日指定

総高104.53cm、口径75.75cmの大鐘である。文明6年(1474)の銘がある。平朝臣盛■、法用寺別当儼海、本願長岡頼円らの名が見られ、越後国妙実と火玉(現会津本郷町)大工の合力で鋳造したとある。

県指定重要文化財
十一面観音板木
所有者 法用寺 昭和46年4月13日指定

縦62.3cm 横30cm、厚さ1.7cmの板に十一面観音像が繊細に刻まれ、像の左側に「雷電山法用寺御正体」、右側に「応永四年(1397)丁丑二月九日」陽刻がある。奈良長谷寺式十一面観音で長谷寺や志渡寺の原像が失われた現在、古来の原型をとどめる貴重な文化財である。

県指定重要文化財
法用寺三重塔
所有者 法用寺 昭和55年3月28日指定

塔東側に説明板があるので参照ください。

会津高田町教育委員会








とりあえず、花よりもお参りが先です。





   

狛犬が格好いいです。
あれ?寺なのに狛犬?神仏習合?







お参りをして、振り返って撮影してみました。









ふーん。








花は、ソメイヨシノよりも大きいです。
いやー、まさに満開です。










脇のほうに大きな石がありました。


弁天石の由来

今から凡そ1195年前、大同3年(808)観音堂建立の際、徳溢大師が植えられた、この木(虎の尾桜)の下で大師がうつうつと仮眠された時、妙なる楽の音と共に美しい天女が舞い降りて静かに大師のそばにたたれて、にっこりと笑みをたたえたので、ふしぎに思う中

(われは弁財天なるよ そなたの力となりこの堂塔の助とならん)

と云われ、目覚めてみるとそこにこの石があったので弁天石と名付けこれを北の川のほとりに祀り、もし子のない女はこの石に抱きついて祈りご利益で子が授かったという、その後洪水で流されたのでこの地に復元する。

平成15年11月
法用寺 桜保存会










鎮守・意加美神社

龍像権現として創祀されたのは宝亀(770〜780)年間約1220年前で村の鎮守として崇敬をうけて来ました。
奉祀された頃、宮の周りは非常な大森林雀など、小鳥が群れ住んでいたので、古書に「龍像権現の森を雀林という村の名の起こり」とある。
龍像権現は祭神が「五龍王」で「龍」を祀った。「龍」は雲や水と住み、しかも偉大な力をあらわしている。水の少ないこの村人が「龍」を祀ったことも決して昔の人の考えが分からない事でもない。
山門(仁王門)に「蛇」(龍)の藁形を祀ったのも理由があっての事と思われます。
明治4年神社法が制定され意加美神社と改められ伊佐須美神社の境外末社に編入されたのである。この神社が雀林の神社の中で一番古い鎮守であり、氏神であります。


縁結びの神としても!!

昭和55年神社を再建して村の幸福を祈ったところ、それ以来つぎつぎと良縁が結ばれ鎮守様のご利益であるとして、最近は良縁のお授かりを願って遠方よりも参拝される方が多くなりました。
祭礼は10月29日で当日は幣束を供えて、この社に参拝しております。

平成2年4月建立 大越太雄氏文献より
寄進者/猪巻清正 村松武夫










登ってみます。








上から見下ろしてみました。
池の中には東屋があり、ソメイヨシノが散っています。








ガーン。
有名な三重の塔は工事中です。










福島県指定重要文化財(建造物)
法用寺 三重塔 一棟

昭和55年3月28日指定
所在地 大沼郡会津高田町大字雀林字三番山下3551
所有者 法用寺

木造・三層宝形造・銅板葺(もとこけら板葺)
方三間

会津地方に現存している唯一の塔遺構で、禅宗様の三ツ斗・三手先斗杭、二重の繁垂木、三層を扇垂木とし、また各組ごとに尾垂木をおき、斗杭の間にはそれぞれ間斗二個を詰めて配するなど、応用部分も多く、禅宗様の末期的手法によったものである。

建立年代を示す棟札・墨書銘などは見当たらないが、第二層には、明和5年(1768)に飛騨高山の二右衛門と越国仙七の描いた設計図板がある。

藩政時代に寺社奉行に提出した調書の写しといわれる天台宗「寺縁起」(会津若松市常光寺蔵)、および「新編会津風土記」などの記載によると、安永元年の起工で、同9年(1780)の竣工とあり、寺の創立以来再再建にあたるといわれる。
なお初層には、内陣に後補の祭壇を組み、釈迦三尊を祀ってある。

福島県教育委員会





三重の塔を通り過ぎたら、また解説板がありました。




町指定史跡
御氷餅搗阯(おこおりもちつきあと)

ここは法用寺境内の二畝二十歩で、ここに倉庫三棟と曝場、搗舎があった。
寒の三十日間に、雀林村の人が輪番で餅をつき、氷らせて所謂「御氷餅」をつくった。
独特な製法で入梅期に白長持9櫃に入れ、法用寺街道をお城に運んだ。古く平安期から朝廷にも献上し、歴代藩主松平氏にも貢し、その一部は徳川将軍にも奉った。
雀林村はこの「御氷餅製造」のため、藩からの割当人足の一部を免除された。記録も遺っている。

昭和47年5月
会津高田町教育委員会

氷餅って、いわゆる「凍み餅」のことですよね?
天然のフリーズドライ餅のこと。








会津高田は歴史もあっていい所ですね。










虎の尾桜は右側にちらっとしか写っていませんが、
結構好きな写真です。


さてと、次は新鶴村の千歳桜を見に行きます。


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