太夫桜

2005.4.27






太夫桜は、白虎隊自刃の地として有名な飯盛山にあります。
この、階段のある道がメインのように思われていますが、私はここは通りません。







何故なら、北側にあるこの細い道が、昔からある厳島神社への参道だからです。
あの階段のある道は新しいから。








白虎隊伝承史学館を右手に、登っていきます。








しばらく登ると、右側に太夫桜が見えてきます。
奥にあるのが白虎隊記念館です。







満開です。散ってもいません。今日が最高の日です。








市指定文化財 第24号
昭和43年9月18日指定

天然記念物 太夫桜


会津若松市一箕町大字八幡字堰端乙410

高さ約13m、周囲5.5m、えどひがんざくらで、石部桜と共に会津の二大老樹の一つである。

寛永3年(1626)、蒲生忠郷公在城の頃、若松城下の掘江町にいた、いつき太夫と云う名妓が、花見のおり、この辺で兇徒のために殺害された。

弟の南秀と云う滝沢南岳院の法師がこれを大変悲しみ、霊を弔うために、墓側に植えられた桜で、その樹はすでに枯れ、現在の樹は二代目と伝えられている。

昭和57年11月
会津若松市教育委員会


昭和57年の時に高さが13mということは、今はもっと高いのでしょうね。








うーん、まさに満開です。
黒い幹と白い花のコントラストが良いですね。








厳島神社へ向います。
他所の地域はどうなのか分かりませんが、
会津ではいたる所に普通に桜の木が沢山植えてあるので、
有名ではない場所も桜が綺麗です。







本参道です。
こちらが本来の道です。








白虎隊士が潜った洞穴も、今はコンクリートで塗り固められ、
昔日はあまり偲べないようです。







猪苗代湖の水が、会津若松市内を潤します。








厳島神社は、立派なご神木に挟まれています。








厳島神社

當社は宗像三女神の一にして古くから人々の信仰が厚かった、主神は市杵島姫命である。

会津の領主葦名直盛公の時代、石塚、石部、堂家の三家によって社殿だ建てられたるものとして時は永徳年間のことである。

別當は正宗寺である、降って元禄13年には会津藩主松平正容公は御神像及び土地を寄進され、明治の初期に厳島神社と改めたこの山を飯盛山と呼ぶ、別名の辯天山は、この神社にあやかるものである。





日本で唯一、二重螺旋状の建物「さざえ堂」です。


六稜三層形式向拝付、銅版葺き(もと木羽葺き)

正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)。その昔、飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、当時の住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。

正面から入ると右回りにらせん状のスロープで登り、頂上の太鼓橋を越えると、降りの左回りスロープとなって背面出口に通じる。

昇降を通じて建物内を三度回る事から、三匝堂の名がある。スロープの内側に沿って西国礼所の三十三観音像がまつられ、1度入ると巡礼を終えた事になるという、江戸自体における庶民の為の身近な巡礼の場所であった。

仏堂建築としては他に例を見ない特異なもので、六本の心柱(円柱)と同数の隅柱(六角柱)を駆使して、2重らせんのスロープを作り上げた考案者である郁堂と、棟梁の創意と技術には大きな意義がある。

400円で中に入ることができます。








スロープ状の参道を登りきり、白虎隊士の墓前へ向います。








白虎隊士中二番隊の一部(19名)の皆さん、お久しぶりです。








つい一昨日、白虎隊慰霊祭が行なわれたので、榊が供えてありました。

※白虎隊士は神式で埋葬されています。
お参りの際は柏手を打ってください。







白虎隊士中二番隊の一人、飯沼貞雄(幼名:貞吉)さんのお墓です。
そういえば、幕末には我家とお向かいさん同士だった事を知ってから
初めてお参りしました。
心の中で自己紹介をしてみました。







貞雄さんの詠んだ歌は、かなり好きです。

「日の御子の 御影仰ぎて若櫻 散りての後も 春を知るらむ」

朝敵の汚名を着せられて、さぞ辛かった事でしょう。







お腹がすきましたが、今日は会津五桜のひとつ、石部桜を見にいくのです。
いただきものの将門煎餅を兵糧代わりにします。

石部桜の近くには市営駐車場がありますが、混雑している事が予想されるので
飯盛山から滝沢本陣を通り抜け、歩いていくことにします。

健脚なので、このくらいの距離は何てことはありません。
駐車待ちをするより数倍良いです。


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