斎藤一 忌 (供養祭) |
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2004.9.26 会津若松市七日町の阿弥陀寺にて。 休みだったのでフラリと行ってきました。 パンフレットにはこう書いてあります。
阿弥陀寺です。 友人と待ち合わせたのですが、集合時間がちょっと早すぎたかも(^^; ・・・浅葱の鯨幕ってアリ? 「鯨」というくらいですから、白と黒以外はありえません。 慶事でも弔事でも。 まずは本堂にご挨拶します。 墓前には祭壇が設けられ、地面も掃き清められています。 斎藤一の墓です。 やはり会津人の墓にもご挨拶しませんとね。 緑の中の狛犬が素敵です。 ・・・扉が開いてます。 知らない人が入ってしまうではありませんか。 この盛り上がった部分は全て、戊辰戦争で亡くなった会津人の遺体で出来ているのに。 ※あまりの遺体の多さに、棺にも入れることができず、遺体そのままで埋葬したのです。 それでも掘った穴に入りきらず、盛り上がってしまったのです。 後に改葬して、現在のように石で囲まれているのです。 あーあ。 2000人もの会津人の遺体を足下にしています。 知らないって恐ろしいですね。 知らない人が誤って踏んでしまうのですから、扉は閉めておくべきなのです。 もちろん私は階段までしか登っていませんよ。 絶対にこの上に登りたくなんかありません。 (遺体の人数は千数百人〜二千人以上と、書籍によってばらつきがあります) 御三階の裏側はどうなっているのかと思って回り込んでみました。 普通でした。 ご住職もスタンバイ。 行列が融通寺からここ阿弥陀時に到着しました。 ゆかりの地からも多数ご参加です。 かなり早い時間に到着してしまった為、場所も確保でき、 ベストポジションで撮影できます。 こちらは一般募集による市民の方々だと思います。 かなり間近です。 市内の七日町の方々だと思います。 だんだらを縫い付ける技法ですか。 新選組の羽織については、服飾史的観点から色々と言いたいことがあるのですが、それはまた別の機会に。 全員揃ったようです。 供養祭が始まります。 菅家市長は、秋祭りの時は保科正之でしたが 今日は松平容保役でした。 斎藤一のご子孫です。 すっきりとした素敵な方でしたよ。 読経が響く中、ご子孫の方々と関係者が焼香をします。 ・・・皆様、どう思われます? 開いている扉から入った大勢の人たちが、 2000人もの先人の遺体を踏みつけていますよ。 知ってか知らずか、無礼者が多いですね。 「戦死墓」と刻んである会津人の墓碑に登っている大馬鹿者もいるようです。 会津藩の責任を一身に背負って切腹して下さった会津藩家老・萱野権兵衛さんの碑に登っている大馬鹿者もいます。 何?あなた方は戊辰戦争で亡くなった先人の遺体を足下にし、 斎藤一の墓の真後ろで、高い所から読経を聞き、写真を撮り、斎藤一気分ですか? これは供養祭ですよ?何をしに来たのか皆目見当がつきません。 自分さえ良く見えれば、礼を欠いてもお構いなしなのですか? モザイクをかけてあげたのは私の優しさです。 本当に、一体何をしに来たんでしょう。みっともない。 ガッカリです。 私の隣にいたおばあちゃん達も同じ事を言っていましたよ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 後で副住職に 「知らない人が先人の遺体を踏むから、墓の扉は閉めておいて欲しい」 とお願いしたのですが、 「改葬した時に骨はなかったよ(※)」という トンチンカンな答えしか返ってきませんでした。 何千人もの先人の遺体を踏む事は寺公認ですか?がっかりです。 ご自分で「自分は会津の人間ではない」とおっしゃっておられたので、 この墓に対する感覚も違うのかもしれませんねえ。 ※日本の土壌は酸性なんだから、そりゃ骨は溶けるでしょうね。 日本全国どこでも。 そして、そういう問題ではありません。 「遺体が埋められた事実」よりも「骨の有無が重要だ」というならば、 「墓」という物の存在そのものを否定することにもなりかねません。 骨の無い墓は敬わなくていいのでしょうか。 もしそうなら、骨のない墓を管理している寺そのものも 必要なくなってしまいますね。 ※ 土葬して50年も経ったら骨なんてグズグズでしょう?いわんや136年前をや。 現代で、土中に骨のある墓なんて一体いくつあるのでしょうか。 訳が分かりません。 仮にも「会津人 齋藤一」の慰霊祭なのにね。 他の会津人は蔑ろでもかまわないのですね。 ふーん。 無外流の演武が奉納されました。 袴に刺繍がしてあって格好良いです。 演武をなさるのはプロですし、真剣なので、刀からヒュンッ・・・ヒュンッ・・・と綺麗な音がしました。気迫が伝わってきました。 飯盛山の白虎隊慰霊祭でも、居合の奉納は、だんだらを着た素人の女性ではなく、こういう方々にしていただきたいものです。 (「慰霊祭における奉納」というからには、自己満足ではなく、それなりの質も要求されると思います) 次は真剣と木刀による演武です。 気合と気迫が伝わってきます。 以上で斎藤一の供養祭は終了です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ お寺の方に「萱野権兵衛の像を見せていただけませんか?」と聞きました。 「そこにあるよ」 「中に入って近くで見せていただいても良いですか?」 「あの像を見たいって来るのは、年間で5人くらいだよ(笑)」 とご許可をいただき、見せていただきました。 会津葵。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ なんていうか、供養祭とか慰霊祭ではなく、 ただのコスプレイベントですよ、これは・・・。恥ずかしい。 行列がしたいだけなら、慰霊祭とゴチャ混ぜにするべきではありません。 どちらも単独で行えばいいのです。 こんな内容では、亡くなった方々に失礼です。 そして、わざわざ遠路お越し下さった、斎藤一のご子孫の方々にも失礼です。 第一回目とはいえ、これは酷すぎる・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 余力があったので新選組サミットにも行ってみました。 市長が松平容保の姿のまま挨拶していました。 作家の星亮一氏は、お年の割にはとても若々しくてびっくりしました。 まだ余力があったので、神明通りで会津磐梯山(盆踊り)を見ました。 戻る |