鶴ヶ城
御宸翰公開
ごしんかんこうかい




行って来ました(^^)






観光案内所のあたりに居たら、鐘の音が聞こえてきました。
また戊辰当時の鐘を突かせてもらいました。
※ボランティアガイドの人は、その時間に観光客や希望者に鐘を撞かせてくれます。

昼は9回、他の時間(いつだったか・・・)に3回。
1日に計12回鳴らします。

※この鐘については、「写真日記2004年6月28日」に多少詳しく書いてあります。






ではチケットを購入し、本丸の中へ。
また御薬園に行くと思うので、「鶴ヶ城天守閣、麟閣、御薬園セット券」を買いました。700円です。

天守閣に入るだけなら400円です。







新選組の法被を来た係の人にチケットを提示し
中に入ります。

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入ってすぐの塩蔵で野づら積みの説明や、歴代領主&藩主の領地の変遷、歴史などを、再度じっくり見てしまったので予想以上に時間がかかってしまいました。

その間も、同じフロアで「よみがえる若松城」のCGが格好良い音楽と共に流れているので、その音楽で気分も高揚します。

ありましたよ!

御宸翰と御製、それを入れていた錦袋、禁門の変図屏風、牡丹獅子図金屏風を、ガラスにくっついてじっくり観覧しました。

綺麗に表装されていて、本物なんだな〜と思いました。

解説文には「会津は孝明天皇の絶大な信頼を得ていた官軍であり、これらの展示はその官軍性を表すものである云々」といった事が書いてありました。

あまり「官軍」という単語は好きじゃないので、どちらに対しても使うべきではないと思っているのですが、賊軍の汚名を払拭するためにあえて使っているんだろうな、という感じました。

禁門の変図屏風は、様々な書籍で写真を見る事が出来ますが、
こうやって屏風として全体が見られるのは新鮮で面白いです。

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パンフレットを拡大してしまいました。
すみません。



【御宸翰(要旨)】

堂上(四位以上で昇殿を許された官人)以下、暴論をつらね、不正の処置増長につき、心痛耐え難く、内命を下せしところ、すみやかに承知し、心配と悩みを払いのけ、朕の存念貫徹の役、まったくその方の忠誠にて、深く感悦のあまり、右一箱これを遣わすもの也。

文久三年十月九日





【御製】

たやすからざる世に、武士の忠誠のこころをよろこひてよめる

和(やわ)らくもたけき心も相生の まつの落葉のあらす栄えん

武士とこころあはしていはほをも つらぬきてまし世々の思ひて

これ以外にも複数、松平容保は孝明天皇から直筆の御宸翰をいただいています。

という訳で、「暴論をつらね、不正の処置増長」し、時の天皇を「心痛耐え難く」した人たちに
「会津は帝に逆らった賊軍」とか言われるのは甚だ心外なのであります。


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町野主水の弟、久吉の槍が展示してありました!
会津に戻ってきていたのか〜知らなかった。良かった。

町野家は槍の名手で、槍も素晴らしいものだったので、弟の久吉が討死したとき、西軍に槍を奪われてしまったのですよね。

山県有朋が後に「弟(久吉)の槍を返してやっても良い」と言ったのを
「戦場で奪われた物を畳の上で返してもらう訳にはいかない」
と断わったのが、町野主水です。

だから、どういう経緯で槍が今会津に戻ってきているのか興味あります。

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素晴らしい展示だったので、開催期間中にもう一度行こうと思います。

そして「よみがえる若松城」のCGを見てまた感動。






予想以上に時間も押したので、その他の展示はささっと見ます。
赤瓦も結構好きです。






城のてっぺんから磐梯山を望む。
さっきまで雨が降っていたので、雲がかかっています。







磐梯山アップ。
右にある白と赤のポールの真後ろが飯盛山。
白虎隊自刃の地です。








雲がすごいです。







殿の御殿があったところ。








御三階の跡。

御三階、戻ってこないかなあ。
鶴ヶ城本丸は明治期に取り壊されてしまいましたが、御三階は当時のものです。
ですから、阿弥陀時に置いておくのは勿体無いと思います。

御三階の中に入れないまでも、麟閣みたいに、有料でも良いから、外から中を見られるようにして欲しいなあ。
阿弥陀寺の住職の書斎になっているので、中を見せてもらえないんですもん。

形も、阿弥陀寺に移築された為、手前に玄関がついて本来のものとは違う形になっていますし。


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もしもツアーズ」で会津が紹介された際、キャイーン、関根勤、坂下千里子達が食べていた
「緑色のわっぱ飯」がずーっと気になっていたので
料理旅館田事に行ってみました。







「緑色のわっぱ飯」の正体は、「しらすめっぱ(※)」でした。
緑色は紫蘇の葉を刻んだものでした。味噌汁と香物をつけて945円。

※田事では「わっぱ飯」ではなく「めっぱ飯」と言うようです。







しらすと紫蘇。






融通寺に行き、ようやく町野主水の墓にお参りすることが出来ました。
広い墓地内をぐるぐる探してようやく見つけました。
手をあわせます。

立派な五輪塔です。
高さはゆうに3m以上あります。

町野久吉の墓もあったので、
鶴ヶ城に槍が戻ってきている事を報告できました。

それにしても融通寺には巨大な墓石が多くてびっくりしました。
皆さん、立派なお家の方々なのでしょうね。

3メートルを越える五輪塔がそこかしこにありました。

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※一緒に行く友人たちに「墓の写真はなるべく撮るな」と言われているのですが、
私のサイトは「会津の過去と現在・情報提供サイト」なので、視覚的な情報もWeb上にUPしたいのです。

うーん、やっぱり墓に眠る人はそれを望まないのでしょうか。


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