京都守護職会津藩

新選組ツアー in 京都


3日目
(5)



気が付くと休憩もせずに動き回ってしまう我々ですが、
最終日はちゃんと座って昼食を食べました(笑)




四条烏丸の「おいない市場小道」というお店です。

「やっぱり食事は米ですよね〜」
「米がうまい。久しぶりに座って昼ご飯食べましたね(笑)」

などと言っていたら、テーブルの左側に
「当店では福島県産米を使用しています」と書かれていました。

へー、福島県産米って、わざわざ表記するだけの価値がある
ブランド米だったのですね。

どうりで舌に馴染む味だと思いました(笑)
ご飯はおかわりできるとの事だったので、全員おかわりをしてしまいました(笑)

「福島県のどこの米でしょうね?」
「京都だと、福島県のどこか、までは誰も気にしませんよきっと」








ところで、ここの手作りのおぼろ豆腐が非常に美味しかったです。
美味すぎです。感激しました。

会津に帰ってきてもこの味が忘れられず、
「おぼろ豆腐」なるものを近所で買ってきましたが、全然違う(泣)








友人が養源院を見てみたいというので、行ってみました。
修学旅行以来です。









養源院

豊臣秀吉の側室淀殿が父浅井長政の追善のため文禄3年(1594)成伯法印(長政の従弟)を開山として建立した。寺号は長政の法号養源院をとったものである。もとは天台宗であったが、今は浄土真宗遣迎院派に属する。

建立後ほどなく火災で焼失したが、元和7年(1621)徳川秀忠夫人崇源院伏見城の遺構を移して本堂を再建した。この本堂の正面と左右の廊下の天井は、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の前哨戦伏見城が落城した際、家康から同城の守備を命じられた鳥居元忠以下の将士が自刃した時の板間を用いたものと言われ、俗に血天井と呼んで知られている。

本堂の松の間の襖絵「松図」十二面及び杉戸絵八面(いずれも重要文化財)は俵屋宗達の筆と伝えられ、杉戸には唐獅子、白像、麒麟を描いている。

京都市

修学旅行の時の記憶は
「血が染み付いた床板を天井に張って供養した」
ということだけでしたが、伏見城の床板だったのですか。







血天井

本堂の左右と正面の三方の廊下の天井は、伏見城落城の時、鳥居元忠以下の将士が城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を天井としてその霊を弔ったもので、世に血天井と称して名高い。





門をくぐり、参道を登っていきます。










養源院

養源院は文禄3年(1594)、淀君によって父浅井長政の菩提を弔う為に創建されたが、その後元和5年(1619)に焼失し、同7年に淀君の妹徳川秀忠夫人により再興された。

本堂は大型の6間取方丈建築で、元和5年に破却が決定された伏見城の殿舎を移したと伝える。室中の襖及び戸襖12面と正面広縁の杉戸8面(共に重要文化財)は俵屋宗達の筆になり、また仏間の仏壇羽目板には狩野山楽が描いた唐獅子が残る。方丈形式の客殿として質が高く、また柱の面取りの大きいことや入側柱が1間間隔に建つ点など、江戸時代初期の特徴をよく示している。

このほか、護摩堂、鐘楼、表門、中門、通用門、奏者所、内仏の間も建築年代は本堂より下がるものの、江戸時代前期のもので、当時の当院の形態と規模を伝えるものとして貴重である。

また、庭園は寛政11年(1799)刊の「都林泉名所図絵」に描かれる姿をよく伝えており、また正面の枯滝石組を中心に西側の石橋、池の護岸石組などに堅実な作風を残しているものとして貴重である。

京都市指定建造物
・本堂、護摩堂、鐘楼、表門、中門、通用門 昭和61年6月2日指定。

・奏者所、内仏の間
平成3年4月1日 追加指定。

京都市指定名勝
平成元年4月1日 指定

京都市












本堂内の写真はありませんが、やはり血天井がすごかったです。

解説してくださった係りの方は、天井を細い竹の棒で指し示しながら
「伏見城で自刃した300名のお侍さんの介錯をした鳥居元忠が、最後に自分も自刃して果てました。これがその血の跡です。お顔が左側を向いています。足がまっすぐに伸び、反対側の足の膝が曲がり、4の字になっています。このお侍さんたちの遺体は、自刃後も手をつけられないままだったので、遺体の血や油が床板に染み付いてしまい、どんなに拭いても削っても取れませんでした。ですから、お寺の天井に張って供養しているのでございます。あちらのほうにはくっきりと手の跡も見えます」

などと、分かりやすく教えて下さいました。
(記憶違いがあったらすみません)

本当に一人一人、くっきりと血の跡がついているのです。

生々しかったです。


本堂の廊下は総て、左甚五郎の造ったうぐいす張りでした。










ああ、もう午後4時になります。
そろそろ帰らねばなりません。









時間がないので、養源院の真向かいにある三十三間堂は諦めます。








京都駅や地下でお土産物を買い、新幹線に乗ります。
京都またね。







クリスマスツリーが出ていました。
この時、上の方で新選組関係のイベントが催されていたようです。
京都はそういう盛り上げ方が上手くてすごいなあ。








18:09発の新幹線です。無事に乗れました。
これが会津若松に帰ることができる最終電車です。

会津若松には、日付が変わる直前くらいに到着する予定です(^^;








東京駅で乗り換えです。
さすがに疲れました。早く家に帰りたい。
きっとこんな顔をしています↑







じゃあ、また長い道のりを新幹線で。








新幹線は快適でラクチンだから良いですね。
車内放送の時に流れる曲も、聞き覚えのあるものになりました。







新幹線の切符は、郡山までしかありません。
郡山市から会津若松市までは磐越西線だから。

切符もこうやって撮っておくと記念になるでしょ(^^)







という訳で、郡山駅です。
さすがに郡山まで来ると「帰ってきたな!」と思いますけど、
ここから会津若松まで磐越西線で1時間以上もかかるよ〜。

でも電車内でぐっすり寝たため、元気が回復してしまいました(笑)




お疲れ様でした。
それにしてもあのおぼろ豆腐・・・美味しかったな。


戻る