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京都守護職会津藩

新選組ツアー in 京都

2日目
(2)


壬生に到着。天気が良くて日差しが眩しいです。






京都市指定有形文化財
新選組 壬生屯所遺蹟(八木邸)

・新撰組発祥の地、八木邸

幕末、京の治安維持のために活躍した新撰組は、文久3年(1863)3月春、ここ洛西壬生村の八木源之蒸(八木家11代目)宅にて誕生しました。

将軍家茂上洛の警護の目的で京に上った浪士隊のうち、八木家を宿所としていた芹沢鴨、近藤勇ら13名が、主張の相違から浪士隊と袂を分かち、京都守護職・松平容保の御預かりのもとに新撰組を結成。八木家長屋門の右柱に「松平肥後守御預新撰組宿」の表札を掲げました。

八木為三郎翁(源之蒸3男)の遺談によれば「沖田総司だの、原田左之助なんかがその前へ立って、がやがや云いながら、しみじみ眺めて喜んでいた」といいます。

以来、壬生を拠点に白刃をもって不逞浪士鎮圧に奔走した彼らが、慶応元年(1865)、隊士の増員に伴い手狭となった壬生を引き払って西本願寺に屯所を移転するまでの3年間、初代局長・芹沢鴨らの暗殺をはじめ、池田屋の変、禁門の変など、新撰組の激動の歴史が繰り広げられましたがkそれらを時代とともに目撃してきたのがこの八木家です。

当家には、屯所の移転後も非番の隊士らが連れ立って遊びに来たり、明治維新後まで生き残った隊士が壬生の昔を偲んで訪ねてくることもありました。

(パンフレットより)

個人的に、新選組は、興味はあれどファンではないのです。

でも、今回の旅の主旨にはピッタリですから行ってみました。









八木家住宅

八木家は、壬生村きっての旧家で、かつて壬生卿士の長老をつとめていた。また、幕末には新撰組の近藤勇、土方歳三らの宿所となり、旧壬生屯所として知られている。

建物は、長屋門が東に開き、その奥に主屋が南面して建つ。当家に残る普請願から長屋門は文化元年(1804)、主屋は文化6年の造営と知られる。

母屋は、西端に土間を奥まで通し、土間に沿って居室を3室ずつ2列に配する。入り口は土間部分に開くほか、東南隅に式台を備えた本玄関を配し、その北に仏間、奥座敷を一列に並べて格式ある構成をとっている。

長屋門の外観は、腰に下見板を張り、与力窓や出格子窓を開くなど、昔のおもかげをよく残している。

壬生地区は今日市街化が著しいが、かつては洛中に近接した農村であり、当家は幕末期の農家の遺構として、また新撰組ゆかりの建築として貴重であり、昭和58年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。

京都市






重そうな旗です。








観覧料は1000円で、「芹沢鴨が襲われた所」と、その隣にある「芹沢鴨が殺された所」の二箇所を見学できました。

・・・1000円は高いと思います(^^;
博物館などの、ちょっと大規模な企画展並みの値段です。

でも観光客の団体も次々やってきて、大盛況でした。
平日でこれですから、休日はどれだけ混むのでしょうか。

部屋は想像していたよりこぢんまりしていました。
「ふーん、ここで芹沢鴨が〜」って感じでした。

※芹沢は問題行動を起こして会津藩に迷惑をかけたようなので、ほとんど興味がありません。気合の抜けたレポで申し訳ない。

鴨居の刀傷は、芹沢鴨暗殺の際、沖田総司が付けたと言われているんでしたっけ?
傷痕は、透明なカバーで覆われて保護されていました。








1000円の観覧料は高いですが、
抹茶と屯所餅がセットだったので救われた気分。
これは結構嬉しかったです。

こういう休憩所とか、お茶のサービスは新しいものなのでしょうか。
古いファンは「昔はこんなんじゃなかった」と嘆いていそうだな〜、と思いました。







包み紙をビリリと破ります。
緑色のものは、蓬ではなく壬生菜だそうですが
葉っぱの味はしませんでした。








ガブリ。
甘さ控えめ、餅がソフトで美味しいです。
好きな味です。









八木邸のすぐ近くにある壬生寺にも行ってみました。









入って右側には真新しい建造物が。
友人いわく「以前はこんなの無かったよ」とのこと。

「ここを通過するには有料っぽいですね」
「じゃあ止めますか?」
「ここを通過しないと、近藤勇の像とか隊士の墓参りができませんよ(^^;」

ああ、なーるほど。
この奥にあるんですか。







ここまで来てお参りしないのも何なので、100円を支払って建物内を通過しました。
橋が掛かっています。

奥に「あヽ新撰組」の歌碑が見えます。








こんな感じになっています。ふーん。

へえ〜、ここに芹沢鴨とか河合耆三郎の墓があるのか〜。
近藤勇の遺髪塔もあるのか〜。

ふーん。








「あヽ新撰組」の歌碑。
右側の小さくて白っぽい石にあるコイン投入口に100円入れると
曲を聴く事ができます。

見知らぬおばさまがお金を入れたので、便乗して聞かせていただきました。

「菊の香りに葵が枯れる 枯れて散る散る風の中〜♪」

って、「葵が枯らされた」のは、決して「菊の香り」によるものではありませんから。
失礼な。








幕末関係の書籍でよく見る胸像がある場所は
こんな風になっていたのか。

いつも胸像のアップばかりで、周りの様子がわからなかったので
こうやって見られるのは興味深いです。








胸像の台座までで、私の身長よりちょっと低いくらいでした。
だからこの胸像のトータルの高さは2mくらいあると思います。
結構大きいんだ〜。へー。

左側にあるのが近藤勇の遺髪塔です。







近藤勇の遺髪塔の左側にあるのが 河合耆三郎の墓です。

五輪塔の「地」の部分が長くなっていて、そこに名前が書いてあります。
(五輪塔は上から「空風火水地」の構成です)
カッコいい形です。

河合耆三郎といえば、大河を見ましたよ。
切腹の時の可哀想な事と言ったら。
しかも、山南敬助の切腹の時みたいに「スパッ」と終わるのかと思ったら

「ギャーー!!」って。

介錯失敗するなへたくそ!可哀想でしょ!!

翌日「あれは史実なんですか?」と友人に聞いたところ
「確か・・・史実ですよ。肩を切っちゃったんです」とのこと。

ええ〜?何だかな〜。
介錯は腕の立つ人にやってもらいたいものですね。



河合耆三郎の左側にあるのが、隊士七名の合祀墓。
その左隣が芹沢鴨と平山五郎の墓です。







壬生寺と新選組について

新選組は文久3年(1863)に、この壬生の地において結成された。現在もその屯所跡が、壬生寺正門前の坊城通りに二箇所残っている。

かつて壬生寺境内は、新選組隊士の兵法調練場に使われ、武芸や大砲の訓練が行なわれていた。また新選組にまつわる逸話も、当寺には数多く残っている。

壬生塚にある墓碑は、新選組やその遺族らによって建てられたものである。
近藤勇の胸像は、俳優の故・上田吉二郎氏が発起人となり、昭和46年に建立された。胸像の左横の塔は、近藤勇の遺髪塔である。

また、毎年7月16日に池田屋騒動の日を卜(ぼく)し、「新選組隊士等慰霊供養祭」が行なわれる。









↑文字を打つのが大変そうだったので
これだけは写真でご覧下さい。


ここ壬生寺にも寄せ書きノートがありました。
沖田総司ファンが多いようで、イラストも沖田総司のものがほとんどでした。
髪の毛サラサラの、石鹸の香りがしそうな沖田が多かったです。








本堂です。








石で出来たカエルは、なにやら偉そうでラブリーです。








水掛地蔵のところにいた、金色の亀もラブリーです。








かなり気に入っている写真です。
ラブリー。



八坂神社へ