2004.3.20 あいづひがんじし 会津彼岸獅子 |
春が来た!!彼岸獅子だ!! これは下がり藤ですから、雄獅子ですね。 |
今年のチラシより。 「長い冬に終わりを告げ、春の彼岸入りとともに今年も獅子舞が街にやってきます。三体の獅子が笛と太鼓の音色に合わせ、古式ゆかしい舞を見せながら市内を練り歩きます。豊作と家内安全を祈り、春の訪れを喜び合う会津の伝統行事です。 今年は市内の六ヶ所で公演するほか、鶴ヶ城本丸では東京都台東区の「江戸寿獅子舞」が特別参加します。 じっくりと獅子舞をご覧下さい。」 ・・・・・・・・・・・・・ 【獅子団の構成】 太夫獅子1体、雌獅子1体、雄獅子1体。 弊舞小僧1人。 御弓持ち1人。棒持ち一人。 笛吹き3人。小太鼓3人。 計12名 ・・・・・・・・・・・・・・・ 【獅子舞の曲】 庭入、山おろし、巣場かくし、雌獅子かくし、太夫舞、弓舞、棒舞、大桐、岡崎、袖舞、弊舞、雌獅子舞、通り笛、三ツ笛、討入、とわり舞、のめり舞、のめり小杉、ばち舞など24曲。 普通は庭入、山おろしなど5曲ほどで、20〜30分くらい。 ・・・・・・・・・・・・ あ〜、自分で資料探ししなくても良いのは 何てラクチンなんでしょうか(笑) でも、集めた資料にもっと詳しく書いてあったので せっかくですからUPしていきましょうか。
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天寧獅子団が入ってきました。 今年は11時からが天寧、14時からが下居合獅子団のようです。 去年と逆ですね。 というわけで11時。天寧獅子団です。 あ、私ってば去年と全く同じ位置ですね(^^; という訳で、今年も城をバックにした獅子の写真は撮れません。 一眼レフ三脚軍団の皆様の熱意にはかないません。 来年はもうちょっと早く来ようっと。 |
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去年より天気が悪いですが 私のデジカメがパワーアップしているので 鮮明に撮れます。 ちゃんと工学ズームもついてるし〜。 デジタルズームは画質が粗すぎて使い物になりません(^^; |
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お腹の太鼓をテテンと叩き 腕を上げてポーズを決め、頭を優雅に振ります。 これが基本動作です。
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輪になって〜。 |
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カッコイイ〜。 |
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一眼レフ三脚軍団の皆様。 流石にベストな場所をキープしておられる。 来年こそはあそこで撮影したいものです。 |
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弊舞。 「頭巾に袷と法被のような上衣(袖なし)を着て、白足袋、下駄履きとなった弊舞小僧が鈴と弊束を持って出る。これは県内では彼岸獅子以外には見られない特色である」 今年の弊舞小僧は、本当に「小僧」くんがやってますね。 去年は多分、ひょっとこの面をつけたオジサンがやってましたよ。 本来は、小僧は5〜6歳くらいらしいので この小僧君もちょっと年齢が高いですけど おじさんより若者のほうがよりグーです。 |
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弊舞小僧が弊束を2本持って登場し、一本を太夫獅子に渡して 2人で踊ります。 弊舞は、享保9年(1724)に喜多方市関柴町下柴から習い受けたと言われています。 確か、関柴町下柴の弊舞小僧は、本当に幼児が踊っていたように思います。 太夫獅子が幼い弊舞小僧に合わせて踊っていて、 和やかな、笑顔を誘われる踊りでした。 という訳で、彼岸獅子の中で最も古い歴史を持つのは喜多方市関柴町下柴のものです。 伝承によると寛永年間(1624〜1643)に下野国(栃木県)の古橋角太夫という獅子太夫が移り住んで伝えたといわれ、角太夫の墓という五輪塔も残っています。 ここから、会津若松市天寧、上荒久田、滝沢、河東町郡山、山形県の米沢に伝わったという記録も残っています。 ・・・・・・・・・・・ 喜多方市下柴に残っている絵図には、獅子の四方に花か弊束を指した傘状 のもの(花とか山とか呼ばれる)を被り、笛や採物を持って立つ役が記してあるので、かつてはあったのだろう。 しかし、現在の彼岸獅子ではどの組にも見られない。 ・・・復活させてくれないかな、その役柄。 |
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【参考資料】 去年の天寧獅子団の弊舞。 たぶん小僧じゃなくおじさんが踊っているんじゃないかと思います。 推測ですが。 |
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弓舞。 太夫獅子が勇敢に弓に挑みます。 |
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威嚇しているのでしょうか? |
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ピョンピョンピョンと3回くらい跳ねます。 |
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ああっ、くぐる瞬間をまたしても撮り逃しました(^^; これはくぐりおわった直後です。 |
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てな訳で、去年の写真をば。 上と同じく天寧獅子団の写真ですよ。 ※画質が悪い・・・。 私のデジカメのパワーアップ具合もよく分かりますね。 |
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次はゲスト出演の「江戸寿獅子舞」です。 |