〜 はじめに 〜



当サイトの存在意義ですので、必ずご覧下さい。

必要に応じて加筆修正しますので、そのつど目を通して下さい。
当サイトをご覧いただく方は、下記内容をご理解・ご納得いただけているものとみなします。



主 旨


戊辰戦争で難に殉じた、全ての会津人へ捧げる鎮魂サイトです



その為だけに、このサイトは存在します。



郷土の先人達の生きていた証、考えていた事、誇りに思っていたであろう美しい郷土、哀れにも健気な少年隊士、武士道を貫き勇敢に戦った会津藩士、郷土と誇りを守るために散った人々・・・。

それらを、同じ土地に生き、同じ血を引く者として代弁したいのです。

当事者は語ることさえできませんから。


また、人類の歴史において、歴史書は勝者にとって都合よく書かれるものです。

徳川宗家と帝に忠誠を尽くした会津藩が、どうしてここまで貶められ、屈辱を受け、何十年間も辛酸を舐め続けねばならなかったのか?

反論したかったでしょう、異議を唱えたかったでしょう。

「会津藩はどこよりも帝と宗家に忠誠を尽くしたのだから、賊軍であるはずがない!むしろ・・・!」と。

しかし「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われるように、
先祖達に反論の場などあったはずがありません。




・・・そして現代。
パソコンとインターネットの普及により、先祖達の気持ちを、会津レポートという形でWeb上にUPし、代弁できる条件が整いました。

先祖や郷土の先人達の想いを、必要とする人にご覧いただく事。

それが現代に生きる会津人としての義務のように思えますし、引いては戊辰戦争で難に殉じた会津人への供養になると思っています。



「幕末における会津」の捉え方について

●白虎隊等、会津の悲劇性は史実追求の妨げになり、理解も出来ないので、あえて無視する。

●史実や当時の風俗(服飾・髪型等)を無視した、歪んだ妄想が主体の同人誌系。


そういった主旨の幕末会津サイトが多いですが、ここはそうではありません。


会津に生まれ、会津で育ち、今も住んでいる者にとっては、とてもそんな風に冷徹に割り切ったり、ご本人やご子孫に失礼に当たるような、歪んだ見方は出来ません。


特定の地域の歴史を取り扱うなら、過去から現在に至るその土地と人々に敬意を払うべきでしょう。書かなくていい事まで書き連ねて、どうするつもりなのですか。


郷土の先人たちが幕末期に下した判断や価値観、その想いを「無意味、価値が無い」と一刀両断したり、妄想の材料にされるのは甚だ迷惑です。


「嫌なら見るな」では済みません。

取り扱うテーマ

●会津を中心とした福島県の歴史・民俗・風俗・自然。

●史跡巡りと、それに基づいた観光案内。

●歴史イベントのレポート。

●四季の写真による、郷土の紹介。


サイト名について

〜武士の猛き心に比ぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも〜

 「戊辰戦争 涙橋の戦い」で露と散った中野竹子辞世より、下の句をいただきました。


簡単に言えば、このサイトでの意味は
「僭越ながら、私がやらせていただきます」という事です。


トップページにある 「難に殉じた」 について。

戊辰戦争で命を落とした会津人墓標に、かつて刻まれていた
「殉難之霊」から採っています。

その墓標は「賊軍のくせに『難に殉じる』とは何事だ」と西軍から即刻撤去を命じられ、以後どのように嘆願しても許可されませんでした。

ですから、郷土の先人達の想いを代弁するために、あえてトップページで使っています。

掲示板&メールについて

当サイトは議論の場ではありません。
掲示板をご利用の際はお気をつけ下さい。

サイトの主旨は「鎮魂」ですから、異論反論も受け付けません。

メールも、そういった内容のものは受け付けませんし、お返事も差し上げません。
内容によってはサイト上での公開も辞しませんので、予めご承知おき下さい。

詳細は掲示板入り口を御覧下さい。

レポートについて

会津レポは「会津の素晴らしさを伝える義務」を感じて作成しております。

「行ったつもりになれるレポ」を目指し、写真も多く使用しています。

明らかな間違いがある場合はご指摘下さい。

反論は受け付けませんが、間違いについては加筆修正する気持ちがございます。

新選組について

新撰組
には興味が薄いです。
どうしてここまで会津藩との親密さがアピールされているのか分かりません。

そしてむしろ、最近の会津は新撰組に媚びへつらいすぎだと思います。

会津藩は新撰組の上司なのですから、もっと毅然とすべきです。

また、歴史上の人物と縁もゆかりも無く、性別さえも異なる人物によるコスプレや、慰霊祭、祭典、式典等における自己満足なパフォーマンスには嫌悪感を覚えます。

コスプレ妄想による絵や文章を書く事は、故人を冒涜する行為だと認識しております。

ご注意いただきたい事

このサイトにUPしてあるものは全て、二次使用を禁止します。

参考資料等の出展は明記してあります。

写真も、私が現地に赴いて撮影してきたものですから、二次使用模写持ち帰り禁止です。

※写真等を使用したい場合は、ご相談に応じます。必ず事前に掲示板やメールにてご連絡下さい。基本的には許可するつもりです。


管理人について
 
福島県会津若松市在住。


【父方】
会津藩士の子孫です。
山形藩・鳥居氏の家臣でしたが、そこに入部した保科正之公に250石で召抱えられ、会津への転封の際、一緒に会津へやってきました。その後、何度か加増していただき、400石で落ち着いていましたが、幕末には500石になりました。

祖父によれば「足軽大将だった」との事でしたが、詳しい方に教えていただいた結果、正式には「御家老組外様組士」だったようです。

現在も、先祖と同じ苗字と、男子の名に付けねばならない文字を代々守っております。


【母方】
私の祖母が青森県三戸(つまり斗南藩)のりんご農家出身で、家には刀が隠してあったと言うので、おそらく会津藩士の子孫です。調査中。


※参考資料:会津藩諸士系譜及び祖父からの口伝、その他色々。



このサイトについて・オマケ

そもそも、これらのレポは平安サイト「御匣殿」のコンテンツの1つでした。

さらに「ウチは幕末サイトではありません」という但書までありました。

それがどうして分離独立し「幕末会津藩サイト」になったのかと申しますと、下記のようなご意見をいただいたからです。

「せっかくNHK大河ドラマ「新撰組!」で会津が注目されているのに、キーワード検索で来た人がトップページまで遡って「平安サイト」だった時、がっかりしてしまうのでは?あなたがレポを作成している意義からも外れてしまうのでは?」と。

おっしゃる通りです。

実は、分離独立すべきだと薄々感じていました。
しかし、あえてしていませんでした。

どうして実行しなかったのかと言いますと、「幕末会津藩サイト」にしてしまうと、異なる立場からの異論反論などが予想されるからです。

メインは平安サイトでも、情報をUPしておけば、必要な人は閲覧できますし、それで良いと思っていました。

皆様からの反応は薄くても、それに比例して反論も少ないだろう。その方が面倒臭くなくて良いと思っていました。

上記のご意見をいただくまでは。

そういう運営姿勢ですので、引き続き、直接の異論反論には対応しません。

よろしくお願い致します。


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